太宰治『斜陽』のかず子にはモデル女性がいた。関連書籍を二冊ご紹介。

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太宰治の代表作の一つが『斜陽』です。
1947年発売のベストセラーで、こちらの作品がきっかけで没落していく上流階級を表した「斜陽族」という流行語も生まれました。
この小説の主人公のかず子にはモデルとなった太田静子という実在の女性がいます

小説『斜陽』では、主人公のかず子は妻子がある作家・上原と関係を持ち、子供を授かっています。
太田静子さんも、妻子がある太宰治との間に子供を授かりました。

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太田静子『斜陽日記』

その太田静子さんが書いた日記が、今回ご紹介するうちの1冊目の本斜陽日記です。
このタイトルは、出版するにあたり出版社が付けたもので、元の名前は『相模曾我日記』といいます。

斜陽日記
著者 太田静子
朝日新聞出版
発売日 2012年6月7日
ページ数 248ページ A6判(105mm×148mm)

類似部分が多い『斜陽』と『斜陽日記』

少し2冊を比べてみます。

夕日がお母さまのお顔に当って、お母さまのお眼が青いくらいに光って見えて、その幽かに怒りを帯びたようなお顔は、飛びつきたいほどに美しかった。そうして、私は、ああ、お母さまのお顔は、さっきのあの悲しい蛇に、どこか似ていらっしゃる、と思った。そうして私の胸の中に住む蝮(まむし)みたいにごろごろして醜い蛇が、この悲しみが深くて美しい美しい母蛇をいつか、食い殺してしまうのではなかろうかと、なぜだか、なぜだか、そんな気がした。(太宰治『斜陽』より)

暗い御堂のなかで、お母さまの眼が光ってみえた。ああ、お母さまは何処かあの蛇に似ていらっしゃる、と思った。近よると、そのかすかに、怒りを帯びたようなお顔が、飛びつきたいほど美しかった。私は、又もや私の胸の中にすむまむしみたいにごろごろした醜い蛇が、この悲しみが深くて、うつくしいうつくしい母蛇を、いつか、いつか食い殺してしまうのではなかろうかと、何んだか何んだかそんな気がした。(太田静子『斜陽日記』より)

順番や表現は違いますが、二つはとても似ています
この他にも二冊は似た場面が多々見られます
『斜陽日記』が発表されたのは太宰治の死後ですが、あまりにも似ているので、太田静子さんが太宰治の『斜陽』から『斜陽日記』を捏造したのではと疑われたこともあったそうです。

実際には、『斜陽』が『斜陽日記』を下敷きにした、と言えます。
太田静子さんは書き綴ったこの日記を太宰治に求められ手渡しました。
1947年の2月のことです。
そして太宰治の『斜陽』の第一回が発表されたのは1947年の『新潮』7月号です。

ただ、この『斜陽日記』は『斜陽』で言うと第四章のお母さまの死の場面で終わっています。
そしてそこからは、太田静子さんの人生自体が小説のモデルとなっています。

太宰治と太田静子さんの関係性

ここで太宰治と太田静子さんの関係について見てみます。

太田静子さんは1913年生まれ。滋賀県の裕福な開業医の四女として生まれました。
家は三千坪(野球場1面)ほどあり、女学生時代は「牛乳で育った花」と言われるほどのお嬢様でした。新短歌のグループに参加し、歌集『衣装の冬』を刊行しています。

彼女はご結婚後、お子さんを授かりましたがその子供は身体が弱くすぐに亡くなってしまいました。
その後離婚。結婚生活は1年半ぐらいの短いものでした。

子供の死に申し訳なさを感じていた彼女は、ある小説に出会います。
それが太宰治の『虚構の彷徨』です。
その中の『道化の華』の一節、

われはこの手もて園を水に沈めた

が彼女の眼に留まりました。

子供の死は自分に理由があるという気持ちだった彼女には、「自分の手で園を水に沈めた」と言っている太宰は、同じ種類の罪の意識を持っている人というように写りました。
そこで彼女は子供の死について書いた小品と手紙を太宰に送りました。

すると、
「お気が向いたら、どうぞおあそびにいらして下さい」
という返事を貰い、1941年9月に2人の女子大生と共に太宰の家を訪ねます。
そして12月に太宰治から連絡を受け、そこから既婚者である太宰との交際が始まりました。

『斜陽日記』以降の部分が描かれる『斜陽』

太田静子さんは太宰治に勧められて日記を書きます。
それが、1945年の春から12月までの疎開先である神奈川県下曾我での日々を書いた、今回ご紹介しているこの『斜陽日記』です。

この日記を太宰治は小説の参考として欲しがります。
(太宰治の作品で他人の日記を着想にしたものは、『女生徒』『正義と微笑』などいくつかあります)
そして1947年2月に日記は手渡され、その時に太田静子さんは太宰治の子を身ごもりました。

『斜陽』は第5章以後、作家の私生児を生む、かず子の話へと続きます。
同じように実際の太田静子さんも、1947年11月に太宰治の子供を生みました。

現実の太宰治は、奥様の美知子夫人との結婚の際に、お見合いの取り持ちをした井伏鱒二

「結婚は、家庭は、努力であると思います。厳粛な、努力であると信じます。浮いた気持は、ございません。貧しくとも、一生大事に努めます。ふたたび私が、破婚を繰りかえしたときには、私を、完全の狂人として、棄てて下さい」(1938年10月25日井伏鱒二宛て書簡)

という宣言をしていたことや、また、その頃にはすでに新しい愛人の山崎富栄さんがいたりという、太宰治の勝手とも言える都合もあり、太田静子さんに対しては距離を置いていました。
(ただ、太宰治はその子を認知し、自分の名前から一字を使い、治子[はるこ]と命名しています。)

つまり『斜陽』は『斜陽日記』以降も、実際の太田静子さんの人生と重なる展開になっているのです。

「でも、もう、おそいなあ。黄昏だ」
「朝ですわ」

タイトルとこの第六章の終わりから、『斜陽』は「一度沈んで新生する物語」と私は思っています。

ただ物語を、子供を私生児として一人で育てていく強い決心をしているかず子の手紙で終わらせている『斜陽』は、現実に子供を一人で育てるであろう太田静子に、できれば強く生きてほしいという太宰治の個人的な感情も入っていたかもしれません。

本のイメージ

太田治子『明るい方へ 父・太宰治と母・太田静子』

明るい方へ 父・太宰治と母・太田静子
著者 太田治子
朝日新聞出版
発売日 2012年6月7日
ページ数 312ページ A6判(105mm×148mm)

二冊目に紹介する明るい方へ 父・太宰治と母・太田静子は、その時に生まれたお子さんの、太田治子さんによる作品です。
こちらは、本の裏表紙では
「父・太宰治と、その出世作『斜陽』の下敷きとなった日記を綴った“愛人”の母・太田静子。時を経てやっと向かい合えるようになった二人の愛の真実と、尊敬できる作家として、人間としての太宰に、娘にしか触れられない貴重な資料を元に迫るノンフィクション」と書かれています。

太田治子さんと『斜陽』

太田治子さんは作家です。
1947年に生まれ、太宰治は1948年に入水自殺をしているので、父の記憶はありません

太田治子さんはとても複雑な立場で『斜陽』を読むことになります
父親の太宰治を作品の中に探し、自分を育ててくれた母親のことも考え、その後の自分達の辿ってきた暮らしや、現実と小説のずれを考えるといった現実に即した読み方を外すことはできません。
けれどもさらに小説家であることから、小説家としての自分がこの作品をどう捉えるかという眼も必要になります。

それは、ただの作品として読む一般の読者とは違います
なので、『斜陽の子』と言われた太田治子さんでしたが、なかなか『斜陽』については書くことができませんでした。

けれど、太宰となにがあったのか、きちんと真実を書いて欲しいと告げて逝ったお母さまの思いを遂げたいと思い、筆をとる決意をされたそうです。
そして、母である太田静子さんから聞いていた父・太宰治のことと、多量に残された「母のメモ」によりこの作品『明るい方へ』は書き上げられました。

太宰治と太田静子さんの姿

太宰治のことを好きで好きでたまらない人はこの本が苦手な人もいるかもしれません。
道化で心の中の痛さや苦しさを鋭く吐露している太宰治が好きな人は、この『明るい方へ』の中の、天真爛漫な恋人といるときの自然な姿や、それでいて小説のネタを手に入れようとしている打算的な姿は受け入れられないかもしれません。

ただ、私は、太宰治と太田静子さんが映画館へ出かけ、

『次郎物語』を上映していた。下村湖人の原作である。短い絣の着物を着た次郎が乳母にあいたくて、後をふり返り
ながら駆けていく。そのいじらしい姿が小さい頃の太宰のように思われて、母は涙が溢れてきた。泣きながら、「太宰は私にあいたくなかったのだ」を思い、ますます泣けてきたというのである。
気が付くと、傍らで太宰は母よりも更に大きな声で泣きじゃくっていた。

というようなエピソードに、人間としての太宰治がふと近く感じられました。

裏表紙にはノンフィクションとありますが、父と母のことを書くと言う、あまりに近しい人のことを書いたこの作品は、読んでいるとどこがメモからなのか、どこが想像なのかわからなくなります。
けれど、書かれた感情は細やかで、関係性だけでなく、実際の太宰治と太田静子さんの様子が感じられて、とても興味深く読めました。

ちなみに、太田治子さんは、太田静子さんが『斜陽』について、

母は自分のことを、世間でいわれるところの『斜陽』のモデルではなくあの作品を生みだすためのアシスタントだったのだと話していた。
「一緒に記念の作品をつくったと思っているの」
そのようにいうのであった。

と、言っていたと、この『明るい方へ』の中で語っています。

本のイメージ

今回は、『斜陽』のモデルが書いた本として、『斜陽』の主人公のモデル太田静子さんの『斜陽日記』その時生まれた子供にあたる、太田治子さんの『明るい方へ 父・太宰治と母・太田静子』の2冊をご紹介しました。

ここまで読んでいただきありがとうございます!

こちらの記事では、太宰治『斜陽』のあらすじを、3分で読める程度にまとめています。
【3分でサッと読める】太宰治『斜陽』【名作あらすじ】

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