太宰治『駈込み訴え』解説考察|生れて来なかったほうが、よかったの意味

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駈込み訴え』は1940年に雑誌「中央公論」に発表された太宰治の短編作品です。
主人公はイエスを裏切ったイスカリオテのユダ聖書を元にした二次創作です。
ユダのイエスに対する愛と、それが叶わなかったと感じた時に転じた憎しみを、スピード感あふれる文体でユダの語りの物語にしています。

ユダのショックが全編にあふれている作品です。
ユダは叫んでいます。それもこれも、愛しているイエスに

イエス

ほんとうに、その人は、生れて来なかったほうが、よかった

などと、言われてしまったことが原因です。

言葉にショックを受ける

好きだったのにつらすぎです…。この言葉を最後のきっかけにして、ユダはイエスを裏切りました。

このイエスのセリフは太宰の創作ではなく、実際の聖書でも使われています。
ただ『駈込み訴え』では、かすかに太宰が、イエスのこの言葉に「ユダの否定だけではない別の解釈」を与えているように私は思いました。

今回は、登場人物を分類し、会話文からイエスの感情を読み解きます。
その上でこの言葉の意味に別の解釈を与え、全体の物語を考察してみます。

注:この考察は聖書の解釈ではなく、筆者が『駈込み訴え』での太宰治の考えを探るものです。

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太宰治『駈込み訴え』作品の基本情報

『駈込み訴え』概要

作者太宰治
発表年月1940年(昭和15年)2月
初出中央公論
ジャンル短編小説

この小説は太宰が口述した文章を、奥さまが筆記で書き上げて出来上がったそうです

奥さまの津島美知子氏の描いた太宰治の記録、『回想の太宰治』ではこのように書かれています。

太宰は炬燵に当たって、盃をふくみながら全文、蚕が糸を吐くように口述し、淀みもなく、言い直しもなかった。ふだんと打って変わったきびしい彼の表情に威圧されて、私はただ機械的にペンを動かすだけだった。

津島美知子『回想の太宰治』(講談社文芸文庫)

太宰すごい…。

奥様が執筆した太宰治本

濃やかな愛情と明晰な目がとらえた人間・太宰治ーー太宰治は、文字通り文学のために生まれ、文学のために育ち、文学のために生きた「文学の寵児」だった。彼から文学を取り除くと、そこには嬰児のようなおとなが途方に暮れて立ちつくす姿があった。戦中戦後の10年間、妻であった著者が、共に暮らした日々のさま、友人知人との交流、疎開した青森の思い出など、豊富なエピソードで綴る回想記。(版元ドットコム 紹介より抜粋)
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『駈込み訴え』あらすじ

火のイメージ

私は、あの人を訴えます。あの人は私をいじめます。軽蔑しているのです。けれど私から見ればあの人の方が青二才だ。天国なんて馬鹿げたことを言って。ペテロもヤコブも阿呆だ。
けれどもあの人は美しい。私はあの人の美しさを、純粋に愛している。私の此の純粋の愛情を、どうして受け取って下さらぬのか。
それなのにあの人は、ヤキがまわった。無学の百姓女に、特別の感情を動かした。もう、あの人には見込みがない。凡夫だ。
あの日、あの人は私たち弟子の足をお洗いになった。私が間違っていた。私は潔くなった。それなのに!
あの人は私の裏切りの心を皆の前で指摘した。「その人は、生れて来なかったほうが、よかった」と言った。
私はあいつのことなんかみじんも愛していなかった。銀貨三十枚であいつを売るのだ。
私の名は、商人のユダ。イスカリオテのユダ。

ここからは、実際の小説の本文と照らし合わせをしつつ、個人的な考察をしています。
細かいネタバレになりますのでご注意ください。

『駆け込み訴え』考察

結論から言うとこの物語は、神の子イエスに特別に愛してもらいたかった人間ユダの、

思いを受け取って貰えず愛情が憎しみに変わった叫び

ですが、その裏にある

与えられていた思いに気づけない人間の哀しさ・底の浅さ

を描いた作品だと思いました。

それを、

・ユダの愛が受け入れられない理由(火と水の人物設定)
・会話文からわかるキリストの気持ち

から読み解きます。

相関図と今回のポイントを最初に載せておきます。
ざっと見ておくとわかりやすいかもしれません。

『駈込み訴え』相関図

物語の作りと流れ

『駈込み訴え』はユダの眼を通した物語

まず、物語の作りと流れを見て行きます。

『駆け込み訴え』は、すべてユダの語りのみで構成されています。
ユダの眼を通した物語です。

ところどころに、聖書の内容を引用した言葉やエピソードが使われています。

けれど、この作品には聖書から創作と変更が加えられている場面があります。
尾山真麻氏によると、春の海辺でイエスとユダが語り合う場面は聖書には無いそうです。
また、

寂しいときに、寂しそうな面容おももちをするのは、それは偽善者のすることなのだ。寂しさを人にわかって貰おうとして、ことさらに顔色を変えて見せているだけなのだ。

という作中のセリフは、聖書のマタイ伝では「なんぢら断食(だんじき)するとき、偽善者(ぎぜんしゃ)のごとく、悲(かな)しき面容(おももち)をすな」であり、「断食」を「寂しいとき」に太宰が改変している、と指摘しています。

参考文献

(参考)太宰治「駈込み訴へ」論 -『人間キリスト記』との比較を中心に, 尾山真麻, 2017年, 文学研究論集 (48)

そして物語は、ユダの、

私の名は、商人のユダ。へっへ。イスカリオテのユダ。

という言葉で締められ、イエスの弟子だったユダが商人に戻るまでを描いています。

『駈込み訴え』は

  • ユダが商人に戻るまでの物語
  • すべてユダの眼を通している
  • 聖書を元にしているけれど、変更が加えられている部分がある(春の海辺)

ユダの設定

次に、主人公ユダの性質を見て行こうと思います。

ユダは物語の語り手で、感情がほとばしる人間として描かれています。彼は、泣き・わめき・怒ります。

私は天国を信じない。神も信じない。あの人の復活も信じない。

ユダはキリストの語る神の国は信じていません。
ユダにとっては布教はそこまで重要ではありません。
キリストが布教をやめて、自分と暮らすことを夢見ます。

ユダの設定は

  • 人間的で感情豊か
  • 信仰心は薄い

火と水という人物造形からみた、イエスと周りの人物との比較

イエスと弟子は〈水〉属性、ユダは
〈火〉属性

激しい感情を持つ人間ユダに対して、イエスや周りの人物はどうでしょうか。

三谷憲正氏は、「登場人物の造型をその言説の指し示すとおりに読むと、《火の性》のユダ《水の性》のイエスという対照的な在り方が見て取れる。」と指摘しました。

参考文献

(参考)太宰治「駈込み訴へ」再論 -「私」と「あの人」の造型をめぐって ―, 三谷憲正, 1998年, 京都語文 3

ユダの感情の激しさは〈火〉のようでした
イエスに拒絶されたと感じた時には「憤怒ふんぬの念が炎を挙げて噴出した」とあるように、その心は炎のように吹き上がります。

対して、イエスは感情を出すことを良しとしません。
春の海辺の場面では、ユダに対して「神はわかっているのだから、いつも寂しい顔をせずに微笑していなさい」と説きます。
イエスは「水のように静かであった」と表現される、〈水〉の人物です。

ここでユダを除くイエスの弟子たちについても考えてみます。
イエスが弟子の足を洗う場面では、ユダとそのほかの弟子には反応の違いが見られます。

私は思わず噴き出してしまい、ほかの弟子たちも、そっと微笑ほほえ、なんだか部屋が明るくなったようでした。

感情的に噴き出すユダに対して、他の弟子はイエスと同じように静かに微笑みます。彼らもイエスと同じ水系の人物像です。
つまり弟子の中では、ユダのみが異質です。

穏やかで神を信じる〈水〉の弟子たちの中で、ユダは一人異質な〈火〉のものとして描かれている

水(イエス)に受け入れられない火(ユダ)の愛

〈水〉の愛は広く穏やかな愛。〈火〉の独占したい気持ちとは相いれない。

水の性質を持つイエスや弟子の共通点は、神を信じていることです。

彼らの愛は

神に対する愛・神から与えられる愛

です。神やイエスから与えられる場合は「博愛」で、弟子から神やイエスに捧げる場合は「敬愛」です。
それらは、万人に与えられる広い愛で、独占欲や特別扱いは望んでいません
水の人々はそのような世界に生きています。

火の性質のユダの愛は、特別扱いを求めるものです。
ユダはイエスについて語る時に、なぜか同い年ということを繰り返し言っています。
これはイエスを自分より一段上にみて敬愛の対象にすると言うよりも、自分と並ぶ人間として愛情の対象にしたいということを現わしています。

ユダの特別扱いを望む心は、マリアに対する嫉妬心からもわかります。

私は、口惜しいのです。胸を掻きむしりたいほど、口惜しかったのです。なんのわけだか、わかりませぬ。ああ、ジェラシィというのは、なんてやりきれない悪徳だ。

ここは、ユダが「イエスのマリアに対しての特別な気持ち」を感じて「嫉妬する」場面です。
ユダには強い独占欲があります。

この2種の愛は、双方向で同時に満たせるものではありません。
火のユダのもつ愛の形(独占欲)は、水のイエスたちの持つ広い愛(博愛・敬愛)とまったく反対の性質です。
片方が特別扱いを求めても、片方はいろいろな方向に愛を向けてしまいます。
なので性質の違うイエスに根本的に違う種類の愛情を求めたユダは、イエスに受け入れられないことになります。

本文中にも、

火と水と。永遠に解け合う事の無い宿命が、私とあいつとの間に在る。

という言葉でそのことが示されています。

・ユダは人間であり、求める愛の形は「独占・特別扱い」。
・イエスの持つ愛は「広く愛する博愛」。
→ ユダのイエスへの愛は受け入れられない。

でも、イエスは香油をかけたマリアに対して特別扱いをしていなかった?

ユダはイエスの中に揺れる気持ちを見い出しました。
ただ、この「マリアに対してのイエスの特別な気持ち」は「語り手のユダが見い出した」ものです。
ユダの主観です。
マリアは「湖水のような」娘ということから、穏やかで神を信じる〈水〉の属性です。
なので、ここはユダの思い込みの可能性もあります。

確かに、この時のイエスの気持ちは本当の所は誰にもわかりません。
けれどその不確定なイエスの気持ちを考えるよりも、ここの部分ではっきりと読み取れるのは、

「ユダはマリアに嫉妬している」

ということです。ユダの愛は独占を求めています。

会話文から見るイエスの気持ち

落ち込む人物

これまで火と水という人物造形から、ユダの思いがイエスに届かない理由は、求める愛と与える愛の種類のズレにあることを見てきました。
ここで疑問になるのは、博愛精神の強いイエスがユダに対して

生れて来なかったほうが、よかった

存在を完全否定したことです。

この否定は、ユダの性質のタイプや愛の方法が違うからでしょうか。
受け入れられないのは仕方ないですが、ユダは長いこと一緒にやってきた弟子で、そのユダに対してイエスには優しさや博愛はないんでしょうか。

…………………

そのことを見るために、ユダからイエスではなく、逆にイエスがユダをどのように見ていたかを探って行きます。

全編ユダの語りであるこの作品はユダの主観に満ちていて、イエスの感情はわかりにくいです。
ただ、イエスの言葉は会話文の状態でそのまま残っています

「ユダの言葉」と「イエスの言った事実」との分類

会話文の括弧(「」)で括られる部分は、発した言葉であって、ユダの主観が入らないイエスの自身の言葉です。
それは語り手のユダの影響を受けない、物語内での実際の出来事です。
そこからイエスの心を読み取ります。

イエスの言葉1 私たち(ユダ以外)には安住の地が無い

狐には穴あり、鳥にはねぐら、されども人の子には枕するところ無し

冒頭近くでユダが語るイエスの言葉です。
「人の子」は、聖書の中ではイエスが自分自身を表現する際に使われます。
なのでこの文章は、「自分には戻れる安住の地がない」ということを言っています。

ペテロやシモンは漁人すなどりだ。美しい桃の畠も無い。ヤコブもヨハネも赤貧の漁人だ。あのひとたちには、そんな、一生を安楽に暮せるような土地が、どこにも無いのだ

自分についてだけでなく、春の海岸の場面でイエスは、弟子たちにも安住の地がないと言っています。

そんな中、ユダは「自分には広い桃畠がある」とイエスに告げました。
イエスはここから

自分や弟子には戻る場所がないが、ユダには戻れる場所がある

ということを考えているとわかります。

イエスの言葉2 自分はいつまでここにいられるかわからない。

この女が私のからだに香油を注いだのは、私の葬いの備えをしてくれたのだ。

マリアがイエスに香油をかけた場面です。「葬い」という言葉が使われます。
この部分では他にも「もう施しができない」「短い一生」など、イエスが自分の死を考えている言葉が並んでいます。

おまえたちもこれからは互いに仲好く足を洗い合ってやるように心がけなければなるまい。私は、おまえたちと、いつ迄までも一緒にいることが出来ないかも知れぬから

弟子の足を洗う場面でも自分がいなくなることを考えています。
イエスの復活はキリスト教の教義ですが、この太宰のイエスの場合は同時に「自分が消えること」についても考えます。
復活は信じていたとしても、それがどういった形で行われるかはっきりわからないからかもしれません。

イエスは

近いうちに自分がいなくなること、そして、自分がいなくなったあとの弟子の生活

を気にしています。

イエスの言葉3 ユダの自分に対する気持ちはわかっている

春の海辺でイエスとユダが話し合う場面で、聖書の「断食」という言葉を「寂しいとき」という言葉に変えて、この作品では使っていました。

けれども、そんなにいつも不機嫌な顔をしていては、いけない。寂しいときに、寂しそうな面容おももちをするのは、それは偽善者のすることなのだ。

この改変によって、ユダはイエスの前でいつも寂しそうな顔をしていた、という状況が生まれます。
たぶん求める言葉が返ってこないからでしょう。
感情的なユダは気持ちを隠すことができません。ユダのイエスを好きな気持ちはだだ漏れです。
イエスも薄々気が付いていたはずです。

さらにこの場面ではユダが自分の思いを、イエスにはっきりと告げています。

いいえ、私は天の父にわかって戴かなくても、また世間の者に知られなくても、ただ、あなたお一人さえ、おわかりになっていて下さったら、それでもう、よいのです。

この場面のユダの言葉はどこからどこまでが実際の発言なのかわかりにくいですが、イエスと前後で会話が繋がっているので、ユダが実際に言葉にした部分だと思います。

イエスはユダが

・強くイエスを慕っていること
・天の父よりもイエスを慕っているという、不信心なところがあること

を確信しました。

いままで見てきたことから、イエスが考えているのは次のようなことだと思います。

イエスの考えていること

  • 自分の死が間近にせまっている中で、自分の死後の弟子たちの生活が心配。
  • ユダにだけは戻れる場所がある。
  • ユダは天の父よりも自分を慕っている。

ユダを裏切らせることは必要なのか

銀貨

ここで少し状況を整理します。

イエスはすでに世間的にも死が近いと考えれている状態でした。密告した人には銀30枚の報奨という話も出ていました。
なので、ユダが裏切ろうが裏切ることがなかろうが、イエスは近いうちに死ぬのです。

それなのに、イエスはなぜわざわざ

ほんとうに、その人は、生れて来なかったほうが、よかった

と強い言葉を言ってユダを拒絶し、ユダに裏切らせるように仕向け、さらに

おまえのすことを速かに為せ

と、自分の死という行く先は同じになるユダの裏切りを、後押ししたのでしょうか。

イエスの博愛はユダにも向けられていた?

穏やかな湖

裏切りをさせることで変わるのは、イエスの死という結果ではなく、ユダの立場だけです。

ユダはイエスを裏切れば、報奨金が貰える立場となり、一行と離れることができます。
そして、安住の地に戻れます。
国から禁止される宗教を信じたとして、迫害されることもありません。

イエスはそれを考えたのではないでしょうか。
自分がいなくなったあと、信仰心が薄く安住の地があるユダは元の商人に戻したほうがよいと思い、つらい芝居を打ったのではないでしょうか。

ほんとうに、その人は、生れて来なかったほうが、よかった

イエスはユダが自分に強い思いを寄せていることは知っています
なので、それを打ち砕くには、これくらい強い拒絶が必要だと思ったのではないでしょうか。

これは教祖という立場ではおかしなことです。
ただ、自分の復活がどんな状態になるかわからず、この後の迫害も考えられる今、信仰が薄く元から神を信じていないユダを、人間の世界に戻すというのは私としては優しさだと思います。

このような理由で、私は『駈込み訴え』の世界では、ユダにもイエスの博愛精神=優しさが向けられていたと考えます。

駆け込み訴え まとめと感想

夜更けに騒ぐ鳥

今回は、太宰治の『駈込み訴え』を、イエスは優しさを持ってユダを裏切らせたという立場で考察してみました。

ユダはこのことに気が付いていません。
物語では、最後、ユダが密告に向かう道の途中で、夜にもかかわらず小鳥が騒ぎます。

ああ、小鳥がいて、うるさい。今夜はどうしてこんなに夜鳥の声が耳につくのでしょう。

これはイエスの広い愛に気づかずイエスをまさに売ろうとしているユダに対しての、小鳥からの警告だと思います。

そんな警告にもかかわらず、ユダはキリストを売り、イエスの望んだ通り商人に戻ります。

私の名は、商人のユダ。へっへ。イスカリオテのユダ。

哀しいです。このことから私は『駈込み訴え』は

思いを受け取って貰えず愛情が憎しみに変わった叫び

と、その裏にある

与えられていた思いに気づけない人間の哀しさ・浅さ

を太宰治が考えながら作品にしているという感想を持ちました。

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ここまで読んでいただきありがとうございました!

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