井伏鱒二と太宰治の関係「会ってくれなきゃ死んでしまう」から始まる師弟(世話焼き係?)

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井伏鱒二は1898年(明治31年)生まれ、代表作は『山椒魚』『黒い雨』などです。
小説以外にも、ヒュー・ロフティングの『ドリトル先生』シリーズの翻訳や、唐の詩人武陵ぶりょうの詩『勧酒』の「人生足別離」(直訳すると「人生は別離が多い」)という部分を、「サヨナラダケガ人生ダ」と訳したことでも知られています。

太宰治は1909年(明治42年)生まれ、代表作は『走れメロス』『斜陽』『人間失格』など。
自殺未遂を繰り返し、最後は愛人の山崎富栄と入水し、亡くなっています。行動面としては問題が多い彼ですが、それらの作品は現代でも人気が高く、長く読み続けられています。

年齢は11歳差。2人は師弟関係です。井伏鱒二と太宰治の交友は20年に及びました

今回は井伏鱒二と太宰治の関係についてご紹介します!

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「死ぬ」から始まる師弟の出会い

二人の出会いのきっかけは、太宰治が弘前高校に在学していたころ、井伏鱒二の『山椒魚』に感銘を受けて手紙を送ったことでした。
そのうち、二度目の手紙には五円の為替が封入してあり、

「もしもこれを受取って頂けないとしたら、自分が差出がましいような気持がして、恥かしさのために自分は死んでしまう

という意味のことが書かれていたとのこと。
死なれては困ると思った井伏は受け取り、その代わりとして本を送ったそうです。

そして次は太宰治が大学に入り上京した頃。
そこでも井伏鱒二は手紙を受け取るのですが、返事を出しそびれていたところ、今度は

「もしも会ってくれないと死んでしまう

と、手紙が来たので慌てて返事をして、東京で会いました。
以来、交友が始まったそうです。

…これで師弟が始まっていいのかとちょっと心配!

師匠の役目はスパイ役

1932年(昭和7年)頃から、井伏鱒二は太宰治について「事件簿」のような記録を付けていました。
それは太宰が何か事件を起こすたびに書き留めていたもので、太宰治の実家からのお目付け役の2人から頼まれたものです。


この2人は「太宰治の後見人になってほしい」と井伏鱒二に頼みました。
井伏鱒二はその頼み自体は断っているのですが、2人が家に半日居座ってお願いを続けたりしたので、結局、

  • もし太宰が夫婦喧嘩などしたら、夫婦をなだめる役をすること
  • 太宰が何か事件を起こしそうだったら、お目付け役の2人にすぐ報告を入れる事
  • さらになにか事件が起こったら、記録に残しておくこと

を引き受けさせられてしまいました。

3つとも小説を書くこととは関係ありません


井伏鱒二が付けていた太宰治記録は、このためにつけ始めたものです。
師匠っていうのは夫婦喧嘩のなだめ役までするんです。大変ですよね。
(いや、それは相手が太宰だから…)

生の盲腸も見ました

1935年(昭和10年)、太宰は盲腸炎で手術をします。
これは腹膜炎を起こしていてひどい状態だったそう。
そして、井伏鱒二はこの時も立ち会いで病院にいます。

彼が阿佐ヶ谷の外科病院で盲腸の手術を受けたとき、私が手術室の外で待っていると、車で運ばれて来る彼は鼻を人差指でこねまわしていた。病室に運ばれてからも、絶えず同じ手癖をつづけていた。手術をした主任の医者は「意識の頑丈な人ですね」と云った。

井伏鱒二『十年前頃 -太宰治に関する雑用事-』

この「鼻を人差指でこねまわす」というのは、井伏鱒二が感じていた太宰治のクセのようで、「彼は興奮して来ると、その高い鼻を人差指の腹でこねまわした」とのこと。

ここは実はよくわからないんですが、手術室から出て、すぐに鼻をいじっていたってことでしょうか? 麻酔効いてなかったんでしょうか?
医者の言った「意識の頑丈な人」っていうのは、麻酔が効きにくい人ってことなんでしょうか??
謎は深まります。

その手術の後、手術をした医者は、手術で切り取った部位をピンセットで挟んで、「これです」と井伏鱒二に見せました。生の盲腸です。
井伏鱒二は、太宰治の生の盲腸まで見ています。
弟子のここまでを知っている師匠はなかなかいないでしょう。

入院のきっかけも井伏鱒二の説得

その後、太宰治はこの手術が元で苦しみます。
それは、盲腸の手術の後、絆創膏をはがすたびに太宰がその都度、

痛い痛い、藪医者!

と叫ぶので、これが外に聞こえるのを他の患者の手前バツが悪いと思った医者が、その都度パントポンと言われる鎮痛薬を打ったことが始まりでした。太宰治はこの薬がきっかけで中毒になってしまいます。

お目付け役2人が太宰治に入院することを勧めます。
けれど太宰は「小説を書かなくちゃいけないから」などと言いつつ、なかなか入院しませんでした。
それを入院させたきっかけも、井伏鱒二の言葉です。
その時の様子を、井伏鱒二はこう書いています。

からだはもう衰弱しきっていた。顔も陰鬱な感じであった。私は太宰に「僕の一生のお願いだから、どうか入院してくれ。命がなくなると、小説が書けなくなるぞ。怖しいことだぞ」と強く云った。ずると太宰君は、不意に座を立って隣りの部屋にかくれた。襖の向う側から、しぼり出すような声で啼泣するのがきこえて来た。二人の番頭と私は、息を殺してその声をきいていた。やがて泣き声が止むと、太宰は折りたたんだ毛布を持って現われ、うなだれたまま黙って玄関の方に出て行った。入院することを決心したのである。

井伏鱒二『太宰治のこと』

井伏鱒二の説得でようやく入院する太宰治でした。
ここはしんみりしますね…。

富嶽百景 -兄のように見守る井伏鱒二

太宰治と井伏鱒二の関係と言えば、井伏鱒二は太宰治の作品の中にもそのままの名前で登場しています。
『富嶽百景』という小説です。

井伏氏は、濃い霧の底、岩に腰をおろし、ゆっくり煙草を吸ひながら、放屁なされた。

太宰治『富嶽百景』

放屁なされた」と書かれています。
井伏鱒二は随筆の中で、「これは読み物としては風情ありげなことかもしれないが事実は無根である」と言っています。

井伏鱒二は太宰治に抗議しました。そのときの太宰の様子は。

「でも、あのとき、たしかに僕の耳にきこえました。僕が嘘なんか書く筈ないじゃありませんか。たしかに放屁しました。」
太宰は腹を抱える恰好で大笑いをした。そしてわざと敬語をつかって「たしかに、放屁なさいました」と云った。話をユーモラスに加工して見せるために使う敬語である。「たしかに、なさいましたね。いや、一つだけでなくて、二つなさいました。微かになさいました。あのとき、山小屋の髯のじいさんも、くすッと笑いました。」そういう出まかせを彼は云って、また大笑いをした。「わッは、わッは……」と笑うのである。三ッ峠の髯のじいさんは当時八十何歳で耳が聾であった

井伏鱒二『亡友 -鎌滝のころ-』

太宰さん、なんか子供のような…。口に出して読むとさらにその気持ちが増します。

それでいて太宰さん、たぶん、自分が同じ様に人から小説で書かれたら「恥かしさのために自分は死んでしまう」、または「刺す」って言うんですよね…

太宰治は井伏鱒二に当時、年齢差からすると兄のような感じで甘えていたようなところがあったかも、と思います。

なので、兄はここはぐっとこらえます。

彼が極力自説を主張してみせるので、私は自分でも放屁したかもしれないと錯覚を起しだした。自分では否定しながらも、ときには実際に放屁したと思うようにさえなった。こんなに思うようになるまでには可成りの月日がたっている。

井伏鱒二『亡友 -鎌滝のころ-』

井伏鱒二がこらえたから、喧嘩にはなりませんでした。

面倒を見る兄・問題児の弟といった雰囲気かなと思います。

太宰治の友人である小説家・檀一雄の『小説 太宰治』 (1949 六興出版社) の中にはこのような文章もあります。

かりに、井伏さんから処世上の忠告を受けていたにせよ、太宰は守った例がない。

檀一雄『小説 太宰治』

井伏鱒二の忠告を基本的には太宰はきいていなかったようです…。

無頼派仲間の小説家、檀一雄の描いた太宰治との青春の回想録

昭和八(1933)年に太宰治と出会ったときに「天才」と直感し、それを宣言までしてしまった作家・檀一雄。天才・太宰を描きながら、同時に自らをも徹底的に描いた狂躁的青春の回想録。作家同士ならではの視線で、太宰治という天才作家の本質を赤裸々に描いた珠玉の一編である。(版元ドットコム 紹介より抜粋)
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『走れメロス』は実話が元? 熱海事件の尻ぬぐい

檀一雄の『小説 太宰治』に載せられた太宰治のエピソードと言えば、「熱海事件」があります。

1936年、太宰治は小説を執筆するために熱海の旅館に籠もっていました。
そのうちにお金が足りなくなり、太宰治は奥さんにお金を持ってくるように頼みます。
奥さんは太宰の友人の檀一雄にお金を渡し、届けてくれるようにお願いしました。

檀一雄が熱海につくと、太宰治は檀を高級小料理屋に誘います。
食べたり飲んだりさらに遊んだりしているうちに、預かったお金を使っても宿代は払えなくなってしまいました。

そこで太宰は檀を人質として熱海に残し、お金を借りに東京に戻ります
「明後日までには帰る」と告げ…。

人質を残し、戻ることを約束する。
太宰治の作品『走れメロス』を思い起こさせるエピソードじゃないでしょうか?

でも、実際の太宰は戻りませんでした

メロスはセリヌンティウスの元に戻ってきましたが、太宰は一週間ほどたっても戻ってきませんでした

このままでは埒が明かないと、旅館の人とも相談の上檀一雄が東京に戻ると、太宰は井伏鱒二と将棋を打っていて、檀一雄に向かって

「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」

檀一雄『小説 太宰治』

と言ったそうです。
これが「熱海事件」のあらましです。

この事件も段取りをつけて最終的に解決したのは井伏鱒二です。
宿と料理屋の借金を返した方法については井伏鱒二が「十年前後」という随筆で書いています。

まず、井伏鱒二の正月用の着物と、太宰治の奥さんの正月用の着物を質に入れ35円作ります。
檀一雄の宿代30円と、その他に50円を太宰のもう一人の師匠である佐藤春夫から借ります。合計115円です。

そこから最初に、宿の代金を払います。
次に料理屋の代金も払おうとしたところ、そこの主人がこれではまだ足りないと文句を言い始めました。

そこで井伏鱒二は少し強い口調で、

しからばお前さんの細君をここに出せ、云ってきかせることがある

井伏鱒二『十年前後』

と言ったそうです。
井伏鱒二はここの料理屋の主人の、奥さんに言えないような弱みを握っていた
とのこと。

そして借金は無事に無くなり、熱海事件は解決しました。
最終的な解決に導く…。やはり大人の力です。

井伏鱒二の気持ち

その他にも井伏鱒二は、太宰治の二度目の結婚相手を見つけ、仲人役になったりもしています。
けれど、なぜ井伏鱒二はこんなに太宰治の世話を焼いたんでしょうか。

もちろんそれは表面的なことを言えば、「頼まれたから」だとは思いますが、井伏鱒二はこう言っています。

ぼくは太宰の作品も好きであるが、人となりをまだ好きであった。太宰は小説が書ける。ぼくは小説の書ける人が好きだ。
ぼくが太宰に対していろいろ家庭的なことでわずらわしさを感じさせたのも、太宰の生家である津島家のためにしたのではない。太宰の生む小説に期待したいから、世間からみれば余計なことをしていたのだ。

井伏鱒二『惜別』

実際、井伏鱒二が太宰治を評価せずに、こんなに面倒を見なかったとしたら…
このような太宰なので、彼は若い時のどこかで実家に帰されてしまっていたかもしれません。
その可能性は、かなり高いと思います。
なので太宰治が現代で文豪と言われるのは、井伏鱒二のおかげとも言えると思います。

檀一雄の『小説 太宰治』のまえがきではこのように言っています。

太宰治の異様な仮構人生と文芸を、外部から終始、正常な作家生活の軌道に乗せてやりたいと苦慮しつづけていたのは、井伏鱒二氏であった。氏の庇護なくば、太宰の死は、おそらく十年昔に訪れていたに相違ない

檀一雄『小説 太宰治』まえがきより

戦後は太宰治と井伏鱒二は疎遠になっています。
どちらかというと太宰の方が避けていたようです。亡くなる直前に自室に「井伏さんは悪人です」というメモを残しています。
その太宰の心の内はわかりませんが、井伏鱒二の方は太宰のことを気にかけて、「お酒を控えたほうがいい」などと手紙を出していたようです。

1948年、太宰治は命を絶ちます。

葬儀では、井伏鱒二が弔辞を述べました。

太宰君は自分で絶えず悩みを生み出して自分で苦しんでいた人だと私は思います。四十才で生涯を終ったが、生み出した悩みの量は自分でも計り知ることが出来なかったでしょう。ちょうどそれは、たとえば岡の麓の泉の深さは計り知り得るが湧き出る水の量は計り知れないのと同じことでしょう。しかし元来が幅のせまい人間の私は、ただ君の才能に敬伏していましたので、はらはらさせられながらも君は悩みを突破して行けるものと思っておりました。しかしもう及ばない。私の愚かであったために、君は手まといを感じていたかもしれません。どうしようもないことですが、その実は恥じ入ります。ようなら。

井伏鱒二『弔辞』1948年6月21日 太宰家にて

今回は、「筑摩書房 井伏鱒二全集第十二巻」より、『惜別』『太宰治のこと』『おしい人-太宰君のことー』『菊池・横光・太宰を想うー新盆を迎えて』『亡友-鎌滝のころー』『十年前頃-太宰治に関する雑用事-』の随筆と、河出書房新社編集部『太宰よ! 45人の追悼文集』より『弔辞』。そして檀一雄『小説 太宰治』を参考にしました。
旧かなづかいを新仮名づかいに直したところがあります。

メモ

「井伏鱒二から見た太宰治」がわかる本

今回の記事は井伏鱒二の全集から選んで参考にしましたが、「井伏鱒二から見た太宰治」について1冊になっている本があるのでご紹介します。

太宰治(中公文庫)井伏鱒二 著/文

井伏による太宰関係のエッセイと、作品解説がまとめられています

この本のさらにいいところは、井伏鱒二からみた太宰治だけでなく、「太宰治と井伏鱒二」の2人の様子を見て来た、井伏鱒二の奥様のインタビューが載っていることです。奥様は「私にとって井伏を思うことは、太宰さんを思うことでもあります」とおっしゃっています。

師として友として太宰治と親しくつきあった井伏鱒二。二十年ちかくにわたる交遊の思い出や作品解説など太宰に関する文章を精選集成。〈あとがき〉小沼丹 (中公文庫 書籍紹介より)
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ここまで読んでいただきありがとうございます!

こちらの記事では太宰治のおすすめ短編を紹介しています。

【厳選10作品】太宰治の読みやすくて面白いおすすめ短編をご紹介

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