【変人?神様?】教師時代の宮沢賢治のエピソード|生徒や同僚からみた人物像

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今回は宮沢賢治の教師時代のエピソードをご紹介します。

宮沢賢治って作家でしょ?

宮沢賢治は今では有名な作家ですが、生前に出した本は2冊だけ。
しかもそれらは、ほとんど売れていません!

賢治は1921年(大正10年)~1926年(大正15年)のうちの約4年半、農学校の教師をしていました。
その当時に実際に賢治に関わった生徒や同僚の言葉が、まとまっている本があります。


「証言 宮沢賢治先生—イーハトーブ農学校の1580日」(佐藤成 著)

賢治は変人? それとも神様みたいな人だったんでしょうか。
この本から教師時代の宮沢賢治の人柄・人物像を探っていきます。

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宮沢賢治 プロフィール

宮沢賢治写真

宮沢 賢治  (みやざわ けんじ)

1896年8月27日~1933年9月21日(37歳没)

詩人・童話作家 | 代表作『春と修羅』『銀河鉄道の夜

岩手県出身。仏教(法華経)信仰と農民生活に根ざした創作を行った。

裕福だった宮沢賢治

レトロな教室のイメージ

宮沢賢治は1921年12月、急に辞めた先生の代わりとして、岩手県稗貫ひえぬき農学校の教師になりました。
賢治25歳のときでした。

賢治の身長は164cm、体重は60kg。
当時の生徒の平均が身長150cm、体重45キロだったことを考えると、立派な体格です。

そして、はじめての登場にも関わらず、なぜか生徒のほとんどは賢治のことをすでに知っていました。

あのお金持ちで秀才の多い宮沢家の人だー

賢治の家は地元で有名な、成功した商家(質屋兼古着屋)でした。

『雨ニモマケズ』の質素さを知っていると意外かもしれませんが、賢治は貧しくはなく、生活に余裕がある人です。
賢治の好きな食べ物の1つはサイダー。教師時代の賢治は、天ぷらそばとサイダーを合わせて注文するのが好きでした。

かけそばとサイダーの値段の比較

このサイダー、当時はとても高級品です。
賢治が通っていたお蕎麦屋さん、やぶ屋のWebページ では、

当時、かけそばは6銭、天ぷらそばは15銭、サイダーはなんと23銭!もしました。

岩手県花巻市「やぶ屋」webページ 「宮沢賢治とやぶ屋」より

と、紹介されています。

また、レコードコレクターとしてレコード会社の社長から「たくさん買ってくれてありがとう」と感謝状を貰ったことや、最初に出した童話集「注文の多い料理店」の雑誌広告で、

連絡くれれば先に本を送るから、気に入ったら代金を払ってください

と書こうとして、雑誌の主幹の鈴木三重吉に大笑いされボツになったことなどからも、賢治の裕福さがわかります。

ただ、賢治はお金を他人の為にも使う人でした。
生徒の修学旅行のお金を出したり、病気になった同僚の援助をしたりしています。

宮沢賢治のあだ名「アルパカ」「実際問題」

アルパカ

そんな賢治先生が生徒達から最初に付けられたあだ名は「アルパカ」。
前歯が2本出ていたので、見た目からの連想です。

しばらくたってからついたあだ名は「実際問題」。
この由来は賢治が授業で口癖のように

実際問題ですよ。実際問題です

と使っていたことからです。

賢治の言う「実際問題」は今でいう応用問題のことです。この言葉の後に「よく考えてごらんなさい」と続きます。
賢治はあまり教科書は使わず、これから実際に岩手の風土で農業をやる生徒に向けて、岩手の現状に役立つ授業をこころがけていました。

宮沢賢治の授業

お話したように、賢治が教師をしていた稗貫ひえぬき農学校(のちに岩手農学校と改名)は、農業学校でした。
賢治が授業で受け持っていた科目は、作物・土壌・肥料・気象・農産製造・化学・代数・英語です。

教室内でのエピソード 自己反省でチョークをかじる

教師を始めたての頃は慣れずにとまどいもあったようですが、賢治の授業は「新鮮で斬新」と人気がありました。
ただ、教え方は早めなので、ついていけない生徒もいます。

そんな生徒が教室内でノートもとらずにふざけていました。
ある時それに気がついた賢治。
見た途端、怒るとかではなく、ある行動に出ます。

チョークをかじる宮沢賢治

賢治は無言で手に持っていたチョークをガリガリとかじりました
教室は静まり返ったそうです…。
「自分の授業の仕方がわるいからだ」という深い自己反省からの行動です。

校外学習 生徒にスイカを盗ませる

農業学校なので、教室だけではなく、外に出ることも多いです。
生徒たちと一緒に、賢治が「イギリス海岸」とあだ名をつけた場所(実際は海ではなく川の合流地点)で泳いでいた時のこと。
賢治は生徒たちに

向こう岸のスイカ畑から、何個か失敬しよう

と、スイカ泥棒をそそのかしました。

スイカを盗ませる宮沢賢治

生徒たちはこれを実行。けれど、その場で持ち主に見つかってしまいました。皆で畑の持ち主に追いかけられます。

けれど、これは実は賢治の仕込み
賢治は前の日に畑の持ち主に代金を払い、生徒を追いかけるところまでお願いしていたそうです。

ちなみに学校でもスイカ栽培をしていましたが、このスイカは毎年100個収穫できたとすると、そのうちの20個ぐらいは中ががらんどうになっていました。
賢治が竹のストローで中を吸い取っていたそう。
「こうやって食べるのがいちばんうまい」と、賢治は言っていたようです。

繊細で特殊な賢治の感性

りんごが水に沈んでいく

賢治はとても敏感な感性を持っていました。
「先生の鼻にはにおわないものも匂う。花粉が飛んでいる匂いを感じる」と言っていた生徒もいます。
(花粉症ではなさそうです)

ある日生徒の一人と小舟で北上川を渡っていると、賢治のポケットからリンゴがポチャンと川に落ちました。
賢治はリンゴが水に沈んでいく様子がきれいだと言って、何度もポチャン→きれいだを繰り返します。
そのあげく「泳がないか」と生徒を誘いました。
10月だったので川は冷たく生徒は泳ぎませんでした。賢治は一人で泳ぎました。

麦畑を泳ぐ宮沢賢治

学校の前には道路をひとつ隔てて広い麦畑がありました。
ある夜、輝く月と麦畑を見た賢治は、とつぜん同僚の目の前で両手を掲げて畑に飛び込みます
手を上下左右に振りながら、向こうへこっちへ。
これを繰り返したあと、元の場所に戻ってきて大きなため息をつきました。
なにごとかと思い、同僚が「何をしたんですか?」と尋ねると、

銀の波を泳いできました!

と賢治は答えました。

ある生徒は賢治の様子をこのように語っています。

うれしいときは、アカシアの花の下、クローバの花咲く野で踊り、秋は白い萱穂の中に飛び込み、稲田の向こうから月が出るのを見るとホホホオと喜びの声をあげる。天地自然が先生の演舞場と化す。悲しいときには、ろくろくものも食べずに蒼ざめている。

「証言 宮澤賢治先生」(佐藤 成 著)P245 生徒・菊井清人の言葉より引用

賢治の博識さ

博識な宮沢賢治

賢治は感性も能力もすぐれた人でした。
本を一度読むと忘れないし、音楽でも一回聞くと忘れなかったそうです。
ある日の授業で、賢治は生徒にこう言います。

なんでもよいから君たちの聞きたいこと、知りたいことがあったら質問してください

生徒たちはなんとか先生の知らないことを質問したいと思い、一生懸命質問を続けます。
けれど、賢治は何の苦も無く答えてしまうのでした。

賢治はどんな人か 実際に「変人」とも「神様」とも呼ばれていた

このようなエピソードから、収集家でマニアック・感性がするどく博識・思いついたらついつい身体が動いてしまうような賢治の性質がわかります。

こんな賢治は、実際に「変人」とも「神様」とも呼ばれていました。

賢治の中学校時代のあだ名は、実は

変人

でした。

それが18歳の時に猛勉強して盛岡高等農林学校(いまの岩手大学農学部)農学科第二部に首席入学。
高等農学校時代は原書などをよみこなす優秀さから、今度は

神様

と呼ばれるようになりました。

賢治は変人?それとも神様?

「賢治は神様? それとも変人?」というテーマについてですが、賢治には変人とも神様ともとれる面があります。
そのカギは、「度を越えた熱心さ・集中力」です。

賢治は教師になる前に、法華経に熱心になるあまり、うちわ太鼓を叩きながら花巻の街を歩いたりもしました。
このことで「宮沢さん家のせがれは気が狂ったのではないか」とうわさ話をする人もいました。
そのわりに会ってみるとおだやかでおとなしい印象を人に与えたようです。

熱心さや感性から独特な行動を見せる時は「変人」と思われますが、知り合いになり、知識の豊富さ・作品のすばらしさ・思いやりの深さなどを良く知ると「神様」と感じられるようになります。

賢治は感性が豊かで、何かをやり出すと周りを気にせずに一直線にとことんまでやってしまう人でした。
今回ご紹介したこの本では、そんな賢治を尊敬する生徒や同僚からの、温かい証言を知ることができます。


「証言 宮沢賢治先生—イーハトーブ農学校の1580日」(佐藤成 著)

立派?? 賢治の有名な逸話

ちなみに立派なのかちょっと考えるようなエピソードも載せておきます…

よく賢治の意外な一面として紹介される逸話に、

・春画のコレクターだった(積み上げると30センチ)
・イギリスで発禁処分になった『性の心理』(全10冊)を持ち、友人に見つかると「生徒が間違いを起こさないように教えたいから買った」と言い訳をした

というものがあります。

積み上げた春画のイメージ

これは、本当です。

でも、言い訳じゃなくて実際に生徒に教えています

先生は広重の名作「東海道五十三次」などの版画や浮世絵のコレクションは相当のもので、風景画や美人画、芝居画のほかに春画もかなりもっておりました。私は春信や北斎から外国のものまで800枚に及ぶほどの秘画を見せられました。いつかそっとポケットから出して、「どうだ、これはなかなかよく画けているだろう」といって見せてくれたり、また先生の自宅を訪問した際、二階の先生の部屋など、その観賞の仕方について指導してくださいました。

「証言 宮澤賢治先生」(佐藤 成 著)p111 根子吉盛の述懐より抜粋

30cmもすごいけど生徒に800枚もエグい

だから「言い訳をした」とは言い切れなかったりします。
…とにかく熱心過ぎますが、やっぱり感覚が独特です。

さらに追加します。
今回ご紹介した本は賢治を温かい眼で見ていますが、すべての生徒が賢治を尊敬していたかというと、そうでもない正直な生徒もいます。

賢治に、よく散歩に誘われたと言う生徒がこう言っています。

行くのは決まって宮野目の方向。先生はなんだかんだ話しながら歩くが、私はいっこうに面白味を感じない。授業中でも先生は自分の童話を読むとき、グフフ、グフフというような笑い声を出してやるが、私はさっぱり興味がなく、何が面白いんだろうと思うだけ。それでもついて行ったのは、先生なるが故で、それと玉川屋の生菓子を腹いっぱい食わせてくれるからだった。

「証言 宮澤賢治先生」(佐藤 成 著)p307 高橋吉郎の述懐より抜粋

このアクの強い笑い方にちょっと既視感

正直な生徒です。やっぱり合う合わないがありますよねー。
ちなみに玉川屋の生菓子は生徒にとって高級菓子でした。

教師 宮沢賢治がわかる本

今回ご紹介した本は536ページの研究書なので考察には本当に面白い本です。
教師は「教える」が職業なので、生徒に対しての言葉には、普通の友達には話さないような賢治の考え方が詰まっています。

けれど、もう少しスッキリと読みたいかた向けに、教師・宮沢賢治についてわかる文庫本を最後にご紹介します。

教師 宮沢賢治のしごと(小学館)畑山博 著

「教師 宮沢賢治のしごと」(畑山博 著)小学館文庫

とくに、宮沢賢治がどんな授業をしてたか気になる人にオススメです

芥川賞作家の畑山博さんが書いた宮沢賢治本です。
「代数」「英語」「課外授業」など、章にわけて賢治の授業を文章で再現しています。
問題児との賢治の関わり方などもあり、知られざる賢治先生の教室が、入念な取材でよみがえっています。

ここまで読んでいただきありがとうございました!

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