「書生」の意味とは。服装や「学生」との違い・時代での言葉の変化について解説

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書生」 は、文学や昔を舞台にしたマンガ等で見かけますが、どのような人かはっきりわからない、現在にない職業です。今回はそんな「書生」についてまとめました。

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書生の読み方・意味

書生の読み方は、「しょせい」です。
学問を身に着けるための期間にある若者(大学生)という意味です。

「書生」と「学生」の違い

じゃあ学生と書生は同じ?

広い意味では最初は同じだったかもしれないけれど…

「書生」には「学生」には無い、
・血縁の無い他人の家にお世話になって、住み込みで家事・仕事等を手伝いながら学問をする者。
という意味があります。

学生」という言葉は、明治時代に広まった言葉です。それまでは、小学生も中学生も大学生もオフィシャルでは「生徒」でした。それが明治14年に東京大学が本科生のことを「学生」と呼称するようになり、「学生」がそこから広まり出しました

東京大学赤門

ただその前から、小さい子から青年までひとまとめで「生徒」というのは使いにくいのか、青年時代の学生を指す、「書生」という言葉は使われていました。
けれどもここで、「書生」と同じ大学生を指す「学生」という言葉が広まり出したことで、「書生」の使い方が宙ぶらりんになりました。

その結果、書生=大学生という意味ではなく、

・学生=大学生一般
・書生=実家から離れて血縁のない他人の家の一間に下宿して暮らす大学生

という違いが出てきました。

都会に住む地方出身の成功者などは、同郷の苦学生を自分の家において援助することも多かったようです。その場合は、学生はその代わりにちょっとした家の雑用を手伝ったりしました。

正岡子規の筆まかせは、若い正岡子規が書いた随筆です。彼は明治17年、17歳の時に東京にでてきています。この随筆の中には

・東京に初めて出てきて、道路にある鉄道馬車のレールは跨いでいいのか迷った話
・寄席に行くためにお金を借りる話(そのお金は返したことがない)
・50銭だけ持って友達4人で歩きで旅行に向かう話(夜中の11時に神田を出発。鎌倉を目指すが途中でギブアップ)

など、当時の書生の生き生きとした様子が書かれています。

昭和の書生

ただ、徐々に居候大学生としての書生は減っていきます

明治初期はまだ大学も少なく、交通機関も発達していません。なので大学から少しでも離れた距離に住んでいる人は、実家を離れ上京し、大学のそばで暮らさなければいけません。そしてそんなにお金がない場合は、下宿の一間借り=「書生」です。

けれど、大学の数が増え、交通機関も発達してくると、実家を離れなくても大学に通えるようになります。また、他人の家の一室を借りなくても、寄宿舎や学生用アパートなどが整備されたため、そちらに住むようになります。こうして「書生」の数は減っていきました。

ただ、「住み込みで手伝いをしつつ勉強する者=書生」というイメージは残りました。そこで、昭和になって新しいタイプの書生がでてきます。
こちらは大学生ではなく、政治家や小説家の先生の家に住み込みで暮らし、その仕事内容を勉強しながら秘書的な役割や雑用などをします。
このような人のことも、大学生でなくても「書生」と呼ぶようになりました

明治時代の書生の服装

書生服イラスト

明治時代の大学生の書生の定番の服装は、「絣の着物に丸首のスタンドカラーのシャツ、短めの袴に下駄履き、大学に通っているものはそれに学帽」です。
西洋化が進みつつある明治時代の学生にぴったりの、着物+洋服ミックス和洋折衷スタイルです。

書生のつく言葉とその意味

書生のつく言葉をいくつか挙げて解説します。

書生部屋…住み込みで家や主人の仕事の手伝いをしているタイプの書生のための部屋です。主に来客取次のために玄関横に設けられています。

書生が盛んだったころの家の作りです。

書生論理論や理想ばかりで、現実をわきまえない論。
書生節…明治6年(1873年)頃から流行り出した流行歌です。今はしがない学生だけれど、将来大物になると言う学生の夢を歌っています。「書生書生と軽蔑するな、末は太政官のお役人」が最初の歌詞のようです。

この二つは「書生」という部分に、理論だけで経験が伴わない学生が、悲しいことに少し低く見られているというような雰囲気を感じます。
まだまだ「見習い中」のイメージがわかる言葉です。

書生の羊羹、書生の金平糖

森鴎外の「ヰタ・セクスアリス」(1909年・明治42年)に載っている言葉です。
書生の羊羹=焼き芋
書生の金平糖=弾豆(はじけまめ)。ソラマメを炒ったもの
のことだそうです。書生は貧乏だから、食べるのは洗練されてないお菓子、ということです。

・むかし湖南こなんの何とやら郡邑ぐんゆうに、魚容という名の貧書生がいた。どういうわけか、昔から書生は貧という事にきまっているようである

これは太宰治の『竹青』という作品から抜粋です。ストレートに昔も今も書生は貧乏だと…。

これらの言葉から、書生の持つイメージ

・見習い途中
・学んでいる
・若者
・お金がない
・経験がなく理論が先走る感じ

かと思いました。
大学生というエリートながら少し低く見られているようですが、「貧乏で大変だけど思い返すと眩しい青春時代」かもしれません。

まとめ

それでは「書生」についてまとめます。

書生」は広くは「大学生」のことでしたが、「学生」という言葉が広まってきたことにより、「血縁の無い他人の家の一間に下宿して暮らす大学生」の意味になりました。そのような学生は簡単な家の手伝いをします。その後昭和になって「主人の専門的な仕事や家の雑役を手伝いつつ、その仕事内容を学ぶ、住み込みで暮らす者」の意味が生まれました。


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